3本の道

こんにちは!少年サッカーを底辺で支えていると勘違いしているマルちゃんです。

週7日のうち3日出社し仕事をして、基本給の何割かが会社から支給される。

その会社は、雇用対策の補助金を受け今の不況時期が過ぎ去るのを待つ。

このような社会情勢ですね。

週3日働くのだから残りの4日家でゴロゴロ・・・

いや4日も家でゴロゴロしていたら仕事の日が耐えられなくなる。

そこで休みの4日を利用して近所の草刈や修繕をボランティアで行い、近所とのふれあいや助け合いの気持ちを共有する。

このような時代なのかもしれません・・・

結局、人は、さぼることはできないのです。

人は、上を目指して必死に登ることでしか生きている証を実感できない。

道が3本あります。

@楽そうな道
A保障された無難な道
B困難が予想される険しい道

どの道を上っても、結局さぼることはできない・・・

そして結局一人の力で上りきるしかない・・・

どの道を選んで自分の人生をまっとうするかは自由ですね。

楽そうな道を登ることが楽ではないかもしれないし、保障された道は保障の根拠があいまいなことが多いのでは。。。

強い選手が集まれば強いチームができるのか?

こんにちは!少年サッカーを底辺で支えていると勘違いしているマルちゃんです。

表題の『強い選手が集まれば強いチームができるのか?』
答えは皆さんで考えてください。

ただ、強いチームを作るために強い選手を集めるのは本末転倒のような気がします。

チームは勝つことを目標にするのは当然ですが、本質は勝つための取り組みの部分、内容を充実させる取り組みをやるべきですよね。

チームとしての取り組みがすばらしいと評価された結果、選手からもファンからも厚い信頼が勝ち取れるわけです。

そこを間違わなければ、どこにでも大地に根をはりめぐらせた大輪の花を咲かせるチームはできると思います。

ご賛同の人はコメントください。

いっしょに具体的な仕事をしましょう!

なぜ?スポーツが嫌いになるのか・・・

こんにちは!少年サッカーを底辺で支えていると勘違いしているマルちゃんです。

なぜ?スポーツが嫌いになるのか・・・

小学生のときに運動会でかけっこで遅かった。
お兄ちゃんは速かったのにねえ・・・とため息混じりに口にするママ。

こんなことがトラウマになっている人もいるのでは。

かけっこは一番典型的な事例で、速く走れる子どもがヒーローです。

しかし、スポーツには、頭を使って勝てたり、判断力で勝てたり、また、仲間とのコミュニケーションで勝てたりする事の方が多いのです。

かけっこで遅いことがスポーツ嫌いに直結するのは、何としても避けたいですね。

サッカー協会にはキッズリーダーの養成講習会がありますが、メインテーマは上記の考え方です。

スポーツは勝ち負けを競い合うから楽しい。(ここは押えなければいけないポイント)

ただし、競い合う要素は、たくさんある。
子ども達に感じさせるのは指導者の腕やメニュー構成力ですね。

かけっこに違った要素を付け加えることにより子ども達はスポーツの奥深さを感じ取るのです。

たとえば、かけっこでは勝てないけどジャンケンの反応は一番早くて勝てたとか・・・そのような奥深い成功体験や失敗体験が子ども達をスポーツ好きに導くのでは。

日本のサッカーが世界に羽ばたきつつあります。

それは底辺の地道な活動が支えているのですよ。

サッカー指導者は、すばらしい仕事です。

ご賛同の人はコメントください。

いっしょに具体的な仕事をしましょう!

続・どえりゃー もましちゃる!

こんにちは!少年サッカーを底辺で支えていると勘違いしているマルちゃんです。

宮園小学校芝生化について、廿日市市教育委員会総務課の人から、宮園小学校校長先生に電話があって、グランド芝生化は難しい・・・

予算がどうのこうの・・・

何い?

廿日市市教育委員会総務課は、できん理由を並べるためにあるんかのお?

そんな教育委員会なら解散してもらわんにゃあいけんでえ

明日役所に行って、どえりゃー もましちゃる!

と、宮園小学校の校長先生に申し上げた。

廿日市には、やる気がある奴はおらんのかのお

一般人にも、わしは言いたい!

子ども達や地域のためにええことは、やらにゃいけんじゃろう

自分の立場や収入が第一の奴に何ができる???

もう一度言う。
明日役所に行って、どえりゃー もましちゃる!

どえりゃー もましちゃる!

こんにちは!少年サッカーを底辺で支えていると勘違いしているマルちゃんです。

小学校に隣接する児童館でサッカーでけがした子どもが絆創膏をもらったら、次から自分のチームで用意してくれと言う。

なんで?

けがしたら水道で流して、血が止まるまで休んで血が止まったら参加するのが原則で、けがのための緊急なドクターバッグをチームが完備するのが、はたして子ども達のためになるのか?

親が安心したいだけなのではないか?

役所の児童課とやらは、ドクターバッグをチームが完備するのが常識だと言った。

なぜなんだろうか?

近隣に児童館があれば、どうぞ必要なときに必要なだけお使いくださいとなるはずだ。(私の常識)

児童館の子ども達の中でサッカーが愉しそうじゃけえ、やってみたい子は私が丸子さんに言うたげるけえ手を上げんさいとなるはずだ。(これも私の常識)

ところが能書きはこうだ。
児童館は児童館に来る子ども達のための施設ですし、医療箱も児童館に来る子ども達のために予算が執行されています。

誰だ、そんな能書きを言う奴は? → 前出役所の児童課
明日そこに電話して、どえりゃー もましちゃる!

そのように私は小学校の校長に申し上げた。

役所や校長や教育委員会の常識なんぞ、ぶち壊しちゃるけえ見といてくれ!

やらされるサッカーからの脱出

こんにちは!少年サッカーを底辺で支えていると勘違いしているマルちゃんです。

子ども達がサッカーを嫌いになる第一の原因は、やらされるサッカーだからです。

楽しいから自分からサッカーをする。

やらされるのではなく自分の考えでサッカーをする。

他人の考えを理解しつつ自分の考えと調和を取りながらサッカーをする。

自分の考えでサッカーをすることは、上記のようなプロセスで進んで行くのでしょうか?

さて、自分の考えでサッカーをするためには何が必要でしょうか?

@自分のことは自分でする。(準備や片付け)

A自分の責任で自分のために積極的に取り組む。

Bチームのために自分の責任でチームメイトのためにチャレンジすることを増やす。

自分の考えで、自分の責任でチャレンジし、他人を思いやり、チームのために100%で戦える選手は年代に関係なくステキですよね!

パスワークと環境

こんにちは!少年サッカーを底辺で支えていると勘違いしているマルちゃんです。

サッカーの上手い人は、パスが上手い!

ところで小学校の土のグランドでパス練習するのと人工芝でパス練習するときの環境の違いにビックリしています。

小学校の土のグランドは手入れが不十分で固いので、パスをコントロールして落ち着かせるのに苦労します。
ボールが落ち着かないので周囲を見る事はとても難しい。
それでもボールを奪われたくないので適当に前に蹴る現象が当然おきます。

一方人工芝ではボールを落ち着かせることが簡単ですから、ボールの止め方(置く位置や体の使い方)に工夫する余裕ができます。

この差はパスワークのセンスを磨くときに決定的な違いとなるのではないでしょうか?

小学校の土のグランドに存在する年に1回か2回使う?ビニールテープのラインはいるのでしょうか?

あれをなくして軽トラでグランド整備を行えば、しっとりした人工芝に負けない土のグランドになるのでは?

まあ、天然芝を植えるのが理想ですが・・・・

モチベーションマネジメント論

こんにちは!少年サッカーを底辺で支えていると勘違いしているマルちゃんです。

子ども達の育成環境は、モチベーションマネジメントです。

さて、子ども達の能力、つまりスキルの習熟度により適切な目標でないと子ども達はやる気(モチベーション)がなくなります。

目標は高ければ良い訳ではなく、また、低く設定すると退屈になります。

ちょうど良い目標に向って、指導者も保護者も主役の子ども達も一致団結するのがサッカーの面白さです。

子ども達のモチベーションは、とても繊細ですが、核心に着目すれば、簡単に目標は作れます。

目標は、世間的な目標に固執する必要はなく、心が動かせるものなら何でも良いと思います。

目標は、できればシンプルなもの。そして具体的なもの。

上手くなりたい→具体的に→○○君のようにドリブルで抜きたい

子ども達の個々の目標を考えないでチーム全体の目標を決めることはできません。

たとえば、小学生サッカー選手の全員が全国大会を目標にすることはありえないことです。

スキルレベルの高い子ども達がチームを作って集団の目標を全国大会出場で共有できた場合のみ、それは可能になります。

目標は、目的のためにあります。
目的は、子ども達の育成であるべきです。

そう考えると個人の目標を仲間が尊重しあった結果チームとしての目標ができ、結果として子ども達の育成ができる流れがよろしいのかなあと考えます。

ご賛同の人はコメントください。

いっしょに具体的な仕事をしましょう!

『人任せにしないメンタリティー』

こんにちは!少年サッカーを底辺で支えていると勘違いしているマルちゃんです。

『人任せにしないメンタリティー』
サッカーをやるには欠かせないのは、精神力ですよね。

さて、その精神力の源泉は『人任せにしないメンタリティー』ですよね。

サッカーが上手くなるためには、自分のどこが足らないのかを自分の責任で考えられることが重要です。

考える材料やきっかけはコーチが提供するかもしれませんが、考えるのは自分しかできません。

人は考えてくれないし、教えてくれたとしても・・・結局自分で行き着いた答えでないと身に付きません。

そして、考える能力は、子ども達が平等に持っている才能です。

一番考えることができる子ども時代に、自分自身で考えることをコーチが要求しないで答えを押し付けていれば、考える能力が充分に発達しません。

そこはキーポイントです。

潜在的にソコがわかっている大人の人も多くいらっしゃる。

子ども達の未来に関われるサッカーコーチという仕事は、そのような考えをお持ちの人なら、どなたでもチャレンジできる仕事です。

ご賛同の人はコメントください。

いっしょに具体的な仕事をしましょう!

才能ある子ども達を・・・

こんにちは!少年サッカーを底辺で支えていると勘違いしているマルちゃんです。

子ども達一人ひとりを見てると、みんなすばらしい才能があることに驚きます。

それと同時に、この才能に気づいてあげて一緒に成長を志す大人の存在の必要性を痛感します。

なぜなら、子ども達は、大人ではないからです。

セルフコントロール力が充分についていないために、勝てば天狗になるし、負ければしょげる。

勝とうが負けようが、おごったり、卑屈になどならないで明日に向かって走り続けなければ・・・
課題(理由)を見つけ出し毎日コツコツと努力するのは、大人にとって当たり前のメンタリティーですが、子ども達にとってはそこまで自分を見つめることはできない。

そこに大人が子ども達に関わる意味があり、役割がある。

だから、厳しさもあり、やさしさもある大人がちゃんと子ども達に向き合う環境が必要では・・・・

才能は、磨かれるからこそ才能ですよね。

才能のない子どもは、一人も存在しない。
(才能の色合いは違っていますが)

私はこころの底から、そのように思っています。

また、潜在的にそのような思想を持っている大人の人が多くいらっしゃる。

子ども達の未来に関われるサッカーコーチという仕事は、そのような思想をお持ちの人なら、どなたでもチャレンジできる仕事です。

ご賛同の人はコメントください。

いっしょに具体的な仕事をしましょう!

サッカーをするとは、パスをすることだという話

こんにちは!少年サッカーを底辺で支えていると勘違いしているマルちゃんです。

サッカーを長くやっているとサッカーがパスゲームで、そのパスゲームに加えてもらえなければ出れないことを、つくづく感じます。

レベルが高いとパスのスピードと強さと正確さの要求がきびしくなり、ちょっとでもタイミングがずれると仲間に入れない状況になります。

そこで、小学生のときに、中学生のときに、徹底的にパスとコントロールを鍛えておけば良かったと思うわけです。

また、左右の足が自在に使えないと本当に将来困るし、股関節の柔らかさや体幹の強さや重心の低いバランスを意識しながらのパスコンは本当に必要だと思いますが、子ども達にどのように伝達するか?とても悩むところです。

なぜかというと子ども達の個性や成育状況が各人違っているからです。

コーチの手本が本当に大切で、子ども達のコーチには正確で美しいパスとコントロールの技術を身につけて欲しいと思います。

トレーニングの方法も、何に力点を置くかで状況により決めていく方が実践的ですね。

力点は、パスなのかコントロールなのか、観ることなのかタイミングなのか・・・・

そして、最後はパスゲーム。

パスゲームこそがサッカーをすることなのですから。。。

常識を疑う前に、なぜ?を考える習慣

こんにちは!少年サッカーを底辺で支えていると勘違いしているマルちゃんです。

おとなでも常識を疑うような言動をする人は、世の中たくさんおられます。

いや、常識を疑うような言動をしない人は、仮面をかぶっているだけだとも思いますが・・・

しかし、受け取る側が、変な人ですませていては、人類の進歩はありません。

なぜ?を考える人だけが人間として成長する。これは年代に関係のないセオリーですよね。

相手の気持ちを受けとめて理解する。
コミュニケーションは、そこからスタートです。

子ども達は、出会った指導者により大きな影響を受けますね。
指導者は、サッカーの上手い子に従うだけの『やらされるサッカー』は排除しないといけません。
そのためには、子ども達全員の創造性を許容することがとっても大切ですよね。

許容された環境の中で、子ども達は、自分の創造性を出すことと他人の創造性を認めることを経験しないといけませんね。

そして、もしかしたら両方の主張がぶつかるかもしれない、さて、どうするか?

どこかで折り合いをつけて仲間として戦わなくてはいけない場面がきっと出てきます。

生きていく力そのものが試される理想的な育成環境です。

しかし、理想を現実にするのは簡単ではありません。

ベースとなるのが他人の言動の『なぜ?』を考えることです。

変な人なんていません。

『なぜ?』を考えられる『やさしい人』になりましょう!

このようなメッセージをこめてグランドに立つコーチは良いコーチだと思います。

裏へ蹴れという罠(わな)

こんにちは!少年サッカーを底辺で支えていると勘違いしているマルちゃんです。

裏へ蹴れ!スペースに走れ!!

そのように言われ続けてサッカーをしてきた人は結構いますよね。

これ自体は、正しいセオリーです。

確かにゴールを奪うために第一に目指すべきセオリーだと思います。

しかしこのセオリーには罠があります。

ひとつは、裏やスペースを前方向にだけ限定していること。

守備者の裏をとることを、前に飛び出すことだと勝手に思い込んでいませんか?
裏は前だけではありません。

この罠にはまると足の遅い攻撃の選手は活躍の場がなくなります。

ふたつめは、ゲーム全体を見渡せなくなること。

選択肢があってこその優先順位だと思うわけです。

選択肢は、どうして必要なのかと言うとゲーム全体を見渡して今何をすべきか考察しながら有利に試合をすすめるためです。

試合は生き物ですから、ずっとスイッチオンではいけないし、休むときに休むことも重要なことですが、上記の罠にはまるとやみくもに走り、大事なときに息切れになる可能性もあるわけです。

罠にかからないためにはどうしたら良いのでしょうか?

賢くなることですよね。

状況を分析する視点を持ちつつプレーを楽しむ余裕を持つことです。

この場合の余裕にも罠があって横着な選手を作り出す温床にもなるので気配りが必要です。

コーチがどう伝えるか・・・これが重要です。

子ども達全員にかける言葉と、個別に子ども一人ひとりの状況によって表現を変えたり、タイミングを工夫したりしながら、コーチは伝えるべき事柄を厳選し投げかけるわけです。

子ども達が自分の頭脳でサッカーの罠にはまらないで、賢し選手になってほしいと真剣に分析しているコーチは、良いコーチだと思いますよ。

常識の中の嘘を見抜けという話

こんにちは!少年サッカーを底辺で支えていると勘違いしているマルちゃんです。

世の中には常識らしき事柄を、すぐに信じる人が多いことに驚かされます。

たとえば公共施設の利用形態が誰でも平等に利用できるシステムが常識だと言われる。

その常識の根拠を示してくださいと言うと変人扱いになる・・・

最近は不幸なことに立場的に認められる存在になったらしく変人扱いはなくなったのですが、立場で言っている事の中身を評価する常識自体に嘘があるわけです。

話は戻りますが、平等と言うのは大変難しい概念で誰にとっての平等かを明らかにしないといけませんね。

しかし、ほとんどの人達はみんなにとっての平等を語り、誰にとってなのかを明らかにしません。

これは、この世の中にみんなにとっての平等はありえないことだと気がついていないからなんですかね。

それとも知っているけど意図的にみんなのための平等を語っているのか・・・

スポーツ施設をめぐる事例はここまで。

一般論ですが、子ども達に直接接する立場の人は嘘があってはいけませんよね。

私論ですが、本質を深く考えないで鵜呑みにしたことを子ども達に語るのも嘘をつくのと同じことだと思います。

子ども達には中身を考えさせること。
また、考えさせる材料を与えること。
答えは子ども達全員違っていなければいけないことを理解すること。
答えが違っている子ども達がひとつの目標のためにどうするのかを選択させること。
自分達が選択した結論に責任を持って戦うことをきびしい目で見守ること。

私は、子ども達全員にサッカーが大好きになってもらいたい。

そのためには子ども達に上から目線の常識は与えないで、自分の頭で思考する事を求めたい。

子ども達が苦労して辿り着いた目標到達のための常識を大切に守ってあげたいと思っています。

常識は常識ではないという話

こんにちは!少年サッカーを底辺で支えていると勘違いしているマルちゃんです。

ミニリーグでGKがゴール前の味方にボールを投げる。

勝つためには理屈に合った常識ですよね。

ゴールに近いところに運べば、シュートを決めるチャンスは増えるし、逆に攻められる危険も少ないですからね。

さて、ボールは、どんな種類のボールですか?

2通りを使い分けていますか?

つまり味方が処理しやすいボールと相手が処理しにくいボール。

効果的なのは、状況や相手を考察して決めていますか?

また、勝つために理屈に合ったプレーをいつもするのは、どうでしょうか?

相手は読みますか?読まれたら、やりにくくないですか?

また、投げるタイミングは、相手が対処しにくいタイミングを選手のみんなで考えることは、無駄なことかな?

ひとつのヒントは、フェイントです。

横につなぐ、縦に投げる・・・このような2つのあい反するプレーの選択肢を持つことを考えてプレーを準備する視点は重要ですよね。

あい反するプレーだからフェイントは利くわけですから・・・

GKがボールを持って上記の2通りの投げ方をフェイントで使うことを想像してみて下さい。

守備を対処する相手は、大変困るわけです。

なぜか?

効果の違うプレーの選択肢を攻撃側が主導権を持ち実行できるから。

そして、投げることはタイミングを無数に作れる。

だから、ミニサッカーのときにGKでフェイントを使わないのは、とてももったいないことなんです。

GKの投げるタイミングは自由にコントロールできます。

また、味方とタイミングを合わせる話し合いや練習をすることも可能です。

もうひとつ考えて欲しいのは、横につなぐのは、縦に運ぶためのフェイントだという側面です。

本当に攻めたいところは、相手の注意を分散させてから攻めるという考え方です。

子ども達に教えるべきことは、観点を変えれば、常識は常識ではないことです。

目的から工夫の幅を広げてあげれば、子ども達は自分で、そして自分たちの仲間で工夫をし、サッカーを通して頭脳を磨くのではないでしょうか。

一例ですが、パスをもらうのに場所やタイミングや意味(効果)を考える選手と感覚ですませる選手では、将来の想像力が違ってきて当然です。

足の速い選手やテクニックが注目されやすい競技ですが、頭脳の成長する過程や環境は見逃せないポイントだと思います。

憲法から子ども達サッカーを考える

こんにちは!少年サッカーを底辺で支えていると勘違いしているマルちゃんです。

憲法の目的は、国民の安全保障だと思うんです。

この目的のための制限事項が、条文として書かれていると・・・

目的があるから、セオリーが発生し、国民全体の基本的な問題だから憲法として制定した。

セオリーとは、目的達成のための、誰が考えても納得できる約束です。

サッカーに置き換えましょう。

目的がなければ、セオリーはないわけです。

チームとしての目的ならば、チームでセオリーを統一しなければならないわけです。

攻撃の目的やセオリーは、賛否も含めて結構難解ですが、守備の目的は明確なのでセオリーも明確で子ども達には伝えやすいと思います。

守備の目的は、現在のサッカー協会では、ゴールのためにボールを奪う。ただし相手にシュートチャンスを与えない方法で。

この目的のためにセオリーがあります。

事例を示すと

ボールを受けようとしている選手に守備をするときのセオリー

すでにボールを自分のものにし、ゴールに向ってきている選手に守備をするときのセオリー

バックラインを下げさせる目的で蹴りこんでくる攻撃に対するときの守備のセオリー

クロスボールにニアであわせようとする選手に守備をするときのセオリー   等々・・・

これらすべてにセオリーは、微妙に違っています。

しかし、シュートチャンスを与えない方法で、ゴールのためにボールを奪う目的は一緒です。

セオリーは誰が考えても納得するシンプルな理論ですから意思統一は簡単にできるものです。

基本セオリーは、位置取り→相手とボールを同一視。ただし裏を取られない。
優先順位、パスカット、寄せる、後を向いたら向かせない、前向きならストップ、前向きで向ってくればねばる。

基本は基本でマスターさせたとして、試合では優先順位は変らないけどさまざまな方法があることを子ども達にどう伝えるべきか・・・

子ども達と同じ目線で・・・同じ悩みを持つ1人のサッカー選手として方法論の正解のみえない問題に正解を求めていく。

それをチームとして考えれば、個人の守備方法論をチームメイトが共有すれば、チャレンジとカバーの関係性の完成度が高まったりする。

この一例で考えれば、この守備の連携がチームとして機能したときに連動した守備と表現できるサッカーが実現できる。

子ども達のサッカーを考えるときにサッカー選手として完成期に、どのような選手であって欲しいかという視点が指導に影響する。

なぜなら、選手育成の目的があって、子ども達指導セオリーが発生するのですからね。

私の考えは、子ども達には選手としての完成期にチームとしての連動を自分の力で導き出し、チームになくてはならない選手になってほしいと思います。

それができる選手であれば、戦うステージはどうであれ、チャンスはめぐってくると思うからです。

才能のない才能

こんにちは!少年サッカーを底辺で支えていると勘違いしているマルちゃんです。

足の遅い子どもが、足の速い子どもにサッカーで勝つためにサッカーは存在する。

小さな子どもが、大きな子どもに立ち向かいサッカーで勝つためにサッカーは存在する。

そのようなポリシーを持っています。

逆算すると何が大切か?見えてくると思います。

基本は、なぜ必要なのかも

チームとして戦うことの本質も

エースに頼りきったサッカーでは11人で戦うことはできません。

11人で戦うためには、11人の中で一番能力の低い子が仲間と連携して機能することが大切です。

そこに気づけばチームも個人も変ってくると・・・

私は今後のサッカー人生で、才能のない才能をいかんなく発揮してやろうと思っています。

ご期待下さい!

育成型勝利至上主義のすすめ

こんにちは!少年サッカーを底辺で支えていると勘違いしているマルちゃんです。

育成型勝利至上主義 → これはなんだ???

勝利至上主義をポジティブにとらえた造語ですが、今やサッカー界に浸透しつつある言葉です。

小学生の年代では全員が均等に出場機会を持ち、将来のサッカー選手としての育成をしていこうという考え。

わからなくもないですが・・・少し行き過ぎがあると感じる人も多いのでは?

勝利のために子ども達一人ひとりの役割を子ども達自身に考えさせ、現時点でのチームに対する役割と自分の夢をポジティブに調和させる能力を子ども達に求める。

おとなのチームでも、なかなかできていない事ですが、他律期の子ども達だからこそ基本を植え付けられるのではないか。

基本・・・これは、チームは勝利を目指すことを第一に考えなければいけないということです。

勝利を求めるからこそ経験できる体験を自分の力にできるベースが育成できるのか?ここがキーポイント。

そのような雑草魂とでも表現できるような根性育成を現代社会はサッカー界に求めていると考えています。

志のあるサッカー指導者の皆様、育成型勝利至上主義を信念を持ちつつ進めてみませんか・・・

子ども達をおんぼろバス乗せ大騒ぎした話

こんにちは!少年サッカーを底辺で支えていると勘違いしているマルちゃんです。

思い出話です。

何年か前にビッグアーチに子ども達をおんぼろバスに乗せサンフレカップを戦い。そしてサンフレッチェを応援してかえる。

帰りのバスが大騒ぎ・・・

応援歌を全員で歌いながら帰るのですが、バスが揺れるんです。
運転者の私は、慎重な運転を心がけながら、その場を見守るわけです。

なぜ、大騒ぎを止めないのかは、明確で単純な理由です。
大騒ぎを嫌がっている子が1人もいないからです。

この躍動感をおとなになっても忘れないで欲しいと願いつつ揺れるバスを運転し、子ども達と一日でも長く、そして深くサッカーを共有したいと思ったものです。

ただ、問題だったのはバスで歌う応援歌が、サンフレッチェではなく、アウエイのチームの応援歌だったこと・・・

子ども達は、Jの試合は決まってアウエイの応援団にまじって観戦・・いやサポーターになりきっていたのでした。

子ども達に理由を聞きました。

アウエイの応援団の方が本気じゃし、断然カッコイイ。

どんな立場でも本気で取り組むことのほうが伝わるんだな〜

サッカーチームは人間相手の仕事なんだなぁ〜と思ったのでした。

このバスに乗っていた選手達は、今、どのようなサッカー人生を送っているのでしょうか?

意気揚々と胸をはってプレーしているかもしれませんし、肩を落としてため息をついているかもしれません。

立場はどうあれ、原点を忘れないで前を見て本気で戦う選手であってほしい。

いつかみんなが帰ってきてくれて、すばらしいチームを作ることを私はお手伝いしたいと思っています。

人のモノサシで測ってはいけないという話

こんにちは!少年サッカーを底辺で支えていると勘違いしているマルちゃんです。

私の知り合いに、最近ある競技の大会に初優勝された方がいます。

その競技は、実力別に分かれていて、知り合いは一番下のクラスで初優勝しました。

表面的に見えるのはこの1点です。

しかし、内容はどうでしょうか?

@どんな思いで戦ってきたのか
A練習の内容は・・・(頻度・継続期間・質)
B何度目のチャレンジだったのか

内容や過程により結果は評価されるべきものですよね。

ひとつ抑えなければいけないポイントは、世間は内容や過程に目を向けないで結果のみを評価することです。

前出の知り合いは、上のクラスの優勝者より世間的な評価は低かったようです。

だからこそ、少なくても身内は、身近の仲間として内容や過程に熱い視線を向けるべきだと思いますね。

さて話をサッカー少年に戻します。

問いかけです。
あなたは、自分もしくは自分の子どもを人のモノサシで測ってはいませんか?

子ども言動を、ちゃんと親自身の目で内容を見守っていますか?

当たり前のことが、なかなかできないのが人の世の常ですよね。

私もこのことに大変苦労していますよ。

世間の目に惑わされないで、自分のモノサシを持ちつつも視点は変えられる。

サッカーでは常識的な判断ベースではありますが・・・